現代俳句人の代表とも呼ばれる伊丹三樹彦氏は、
40年以上に渡って写真俳句を推奨していらっしゃいます。

その写真と俳句が合体した訳ですから、
写真俳句は最強の光景伝達手段と言えるのではないでしょうか。

確かに写真というのは、それだけでも沢山の情報を伝えられて、
大きなインパクトを与える事も可能です。それに十七文字のメッセージを添え、
写真俳句にする事により、正しくそのショットは言葉を放ちます。

ルールがないのが写真俳句のルールみたいなものだと

まあこれは余りにも子供じみた写真俳句ですが、あくまでも一例なので、ご勘弁を。

写真俳句は写真が季語を映し出しているのですから、五七五の中は無季語でも全然OK。
森村誠一と言えば、「人間の証明」や「悪魔の飽食」などで知られるハードボイルド系の推理作家。
実際、森村誠一氏自身も、毎日の散歩の中で、この写真俳句という新しい表現方法を思い付かれたそうですよ。
まあ考えてみれば、森村誠一先生も、今や立派なご老人ですからね。
ルールがないのが写真俳句のルールみたいなものだと森村誠一氏は語っておられます。
今回、この写真俳句を知って、森村誠一氏の全く知らなかった一面を見たような気がしました。写真俳句というのは、一枚の写真に五七五の十七文字の俳句や川柳を添えたものです。
けれど、この余りにも単純な画像と言葉のコラボこそが、写真俳句の最高の魅力ではないかと私は思います。
だけど、森村誠一ワールドや松本清張ワールドには、中々そういうデリケートな部分を見出せないでいる私。
写真俳句にはまられるほど穏やかないい晩年をお過ごしになっていらっしゃるという事なのかも知れませんね。
て、そっくりそのままじゃんっと思われるかも知れませんが、実はこの写真俳句、かの有名な作家の森村誠一氏の登録商標だってご存じですか。
西村ワールドの中には、確かに写真俳句のようなにんわな雰囲気も時より見え隠れしているのは感じますよ。
よくよく考えてみれば、これは画像は画像に、言葉は言葉に頼るという非常にストレートな表現方法。
推理小説大好きの私は、普段から西村京太郎氏の作品を愛読しています。
写真俳句の世界にも興味を持ったというのが実際のところですね。

写真俳句を世に広めた事で、新たな文学者として今再び脚光を浴びる森村誠一氏。
実際、森村誠一氏を審査委員長に迎え、フォト俳句コンテストなどを開催する自治体も増えているそうですよ。
特に、森村誠一氏監修の写真俳句ブログというサイトは、誰でもが自由に作品投稿出来るコミュニティーサイト。
そして、そのギャップがなんだか新鮮で、とても面白いなぁっと思ってね。
確かにその通りで、目は口ほどにものを言うと言われるように、写真は視覚から沢山の情報を伝えられる素材です。
でも、自分の世界観を本当に出したければ、森村先生のおっしゃるように、細かなルールに拘らない事が何より大事。

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