当然ですが散骨をするにあたっては、
港湾や漁場、養殖場のある場所では避けなければなりません。

散骨をする場合には、焼骨は相当な分量になるため、
骨粉をサラサラと撒くという簡単な作業ではすまないです。
そうした問題が散骨にはあり、それをする人が僅かであっても、
キチンとした場所の指定や管理方法が必要になってくるんですよね。

散骨とQOLの評判です


ましてや、自分ではなく家族を散骨に入れるかどうかとなると尚更の事、QOLが揺らぎます。
もっと分かりやすく言えば、一人一人がどれだけ自分らしく生きられるかというもので、正しく散骨が意とするところなんですね。
それは実に素晴らしい事だとは思いますが、果たしていざ自分がその選択を迫られた時、それをきちんと受け入れられるかどうかは正直分からないですね。
とは言え、人生観というのは、長い長い時間の中で築き上げられて来たものですから、それを短期間で理解する事は並大抵の話ではありません。
ここに散骨とQOLの持つ微妙な関係があるのではないでしょうか。
なので、一度自分や家族のQOLと散骨について、関連のブログやサイトを読みながらいろいろ想像してみてもいいかもという気はしますね。
愛する人の死を謂わば黙認する訳ですから、それが自分らしい人生であるはずがないだろうと考えるからです。
そして、それ以前に、私たち日本人のQOLそのものが大きく変化して来ています。

散骨で自分らしく、即ちQOLを大切にした人生の最期を迎える。
散骨に入れる事が本当に自分たちのQOLを高める事にはならないだろうとも思うんですね。
そういう意味では、散骨に入る事を決断した段階で、本人は勿論、家族のQOLも大きく変化するのかも知れませんね。
とにもかくにも、今の時代、人生の終幕を考える事が一つのライフスタイルにもなっています。
例え本人がそれを望んで、本人がそれを望むのであればという思いはあっても、まだという僅かな奇跡を願う気持ちとの葛藤があると思うんです。

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